北欧留学記ーフィンランド・ヘルシンキ大学ー

フィンランド、ヘルシンキ大学での留学生活について綴ります。

アメリカ人に発音を褒められたら本当に嬉しいのかという話。

こんにちは。moi!

 

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通学路の公園に謎の鳥が大量出没したというただそれだけの話です。こいつら結構でかいんですけど伝わらないのが残念です。

 

 

前回の記事の後、日本にいる僕の司令塔から「君最近のブログちょっとやばくなってきてるよ。もっと洗剤と柔軟剤間違えたみたいな感じのやつないの?」というありがたいお言葉をいただきました。

 

healsp.hatenablog.com

 

確かに。硬い。固い。堅い。

 

でも前回は、レポート提出前のてんやわんやの中だったので勘弁してください。みなさんレポートの下書きの下書きの下書きを文字にしたらあんな感じになりませんか・・??

 

と、いうことで、こんな僕でも面白い話の一つぐらいみっかるだろうと探し始めた留学一か月目です。

 

そして今回のテーマは

 

「英語のアクセントについて」

 

です。堅い!!

 

まあ洗剤と柔軟剤を間違えるのはおいおいやるとして、、

 

 

ヘルシンキについてから、基本的に留学生同士で時間を過ごすことが多いので、いろんな国のアクセントを持った英語に毎日触れているわけです。

 

英語以外の外国語を良く知ってるわけではないので、詳しいことはわかりませんが、アクセントの置き方、各母音の発音の仕方、ピッチ、英語のいろんな側面がそれぞれの言語の特徴に沿って引っ張られてる感じです。

 

 

 

で、一つ例として、先生が強烈なお国訛り(南米出身といっていたのでスペイン語とかポルトガル語訛り・・?)で授業するクラスがありまして、あまりにもアクセントが強いので正直全然内容が頭にはいってこないんですよ。

 

流石にこれはやりすぎ・・と思って周りの友達に聞いてみたら

 

めっちゃわかるわー

 

みたいな。

 

僕の周りでは僕を含め基本的にアメリカ英語っぽくというか、アメリカ英語に寄せて喋っている人が多い印象を持ってます。(特にアメリカ英語とは、みたいなところに具体的な意見も知識も持ってないのでそこのところは見逃してください。敢えて言うならばアメリカのTVドラマで主に多数派として使われている英語のことを想定しています。)

 

でも中には彼女のように明らかにクセのあるというか、僕も自分がきれいなアメリカ英語を喋れてるとは全く思っていないけれど、その比じゃないというか、一瞬英語かそうでないか迷うようなアクセントを持っている人も一定数いるんですよね。僕は毎日発音練習してるんですけど、そういうのないの?みたいな。

 

アメリカ英語を一つの「お手本」として勉強してきて、一生懸命Rの巻き舌を練習してきた身としては、ここで一つ疑問が持ちあがります。

 

彼らは自分の発音についてどう思っているのだろうか。。。

 

考えられる可能性は3つ。

1.実はアメリカ英語に直したいと思っている(僕が実はあいつの発音超やべーって誰かのブログに書かれてる感じ)

2.アイデンティティやプライドとしてわざとお国訛りで喋っている

3.特に何も考えていない

 

皆さんはどうですか?自分の英語の発音についてどう思っていますか?帰国生の発音にあこがれたことがありますか?自分のアクセントにプライドを持っていますか?

 

僕個人としては、「アメリカ英語流暢に喋れるやつかっけー期」を丁度通り越して3番に移行しつつある感じです。強いてアメリカ英語を喋っている理由をあげるならばアメリカ英語を学んでおけば安パイだから、でしょうか。特に日本語アクセントにアイデンティティを見出したりプライドを感じたりしたことも今のところあまりありません。

 

なんでこんなことを考えているかといえば、何人か共感してくれればうれしいんですけど、小学生中学生の時、海外の国といえばアメリカ。英語といえばアメリカ。歌も映画も日本じゃないものは大体アメリカ。こんな感じの世界観でした。もう流石に外国=アメリカの時期は終わったとはいえ、英語に関してはやっぱりなんとなく「正しい英語=アメリカ英語」的な感覚は残っていて

 

だからそういう価値観を全く共有できなさそうな人があまりにも周りにあふれだすと自然とちょっとした違和感みたいなのを感じてしまうんですよね。

 

ここで例によって話を大きくすると、英語って結局誰のもの何でしょうか(もちろん誰のものでもないけれど。。)。何をもってして正しい英語何でしょうか。英語って何なんだ!!

 

こうなってくるともはや発音云々だけでなく、スペルとか活用とか語彙とかそういうところまで関わってきますね。

 

まず、アメリカ合衆国で話されている英語と僕が中学校高校で習った英語は恐らく同じ英語だと思います。eat の過去形は ate。それ以外は✖。

 

でも今僕が使ってる英語はそれとは大分性質の違う英語を使ってるはず。共通語としての英語的な。リンガフランカ的な。こちらはeat の過去形がeatedでありうる言葉。伝わればいいじゃないか。ネイティブじゃなくても気兼ねなく造語作り放題。伝わればいいんだもん。

 

今、大文部科学省先生がcommunicative languageをやたらプッシュし始めたのは彼らの求める英語観が後者のほうにシフトしてきたってことなのかな。

 

確かに、英語をコミュニケーションのツールだと考えれば、コミュニケーションあっての英語であって、英語あってのコミュニケーションではないと感じます。(だから結構苦労してます笑)

 

僕は英語を勉強している時、「人のもの」を拝借して使用説明書を見ながらじょじょに使いこなしていくようなイメージをもっていたけれど

 

既に自分の中で自分のルールにそって持ってるものを、相手に伝わるように相手の持ってるものやルールを考慮に入れて使う、みたいな見方もできるような気がしてきました。こっちのほうが英語を使うハードル、ぐっと下がりますよね。

 

説明書が一個なら使い方も一個だけれど、それでないなら使い方は無限大ですよね。相手のルールに100%合わせて使ってもいいし、相手が自分のルールに合わせてくれることを期待してもいいし。どこで折り合いをつけるかは完全に自由です。

 

 

ただ、まあ現実として持ち札少なすぎだし、普通に会話に支障あるんで、おとなしく「英語」勉強したいと思います。

 

moi moi!!

 

P.S.

 

アメリカやイギリスが長年かけて作り上げてきたという言葉の深さを考えると、学校では「チャラい英語」だけでなく「折り目正しい英語」もきちんと教えてあげてほしいなとも思います。