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北欧留学記ーフィンランド・ヘルシンキ大学ー

フィンランド、ヘルシンキ大学での留学生活について綴ります。

フィンランドの教育トラックと偏差値という概念。

こんにちは! moi!

 

もう4月になってしまいましたね。

 

新学期や新生活、桜、桜でなにかと騒がしい季節ですが、フィンランドでは学期途中の何の変哲もない時期なので、まったく季節感なく過ごしております。正直、花見に参加できないのが少し寂しいです。

 

とはいえ急にフィンランドに桜が咲くわけではないので、ペースは見出さず、いつも通りのテンションで今回は、、

 

「偏差値」

 

について書いてみたいと思います。

 

 

この偏差値という概念、恐らく多くの人にとっては馴染みがありすぎて困ってしまうくらい、ほとんど常識的な用語だと思うのですが、実はフィンランドに来て、この偏差値という概念の特殊さにはただただ驚かされるばかりです。

 

特に僕もよく馴染みのある「偏差値で人間を語ろうとする試み」は、ここフィンランドではまったく共感されません。きれいごととかじゃなくてほんとに。

 

PISAの調査結果を見てもらえればすぐにわかると思いますが、フィンランドの学校間の学力差は世界トップレベルで小さいです(日本はトップレベルで大きいです)。それって簡単にいうとどの学校にいっても同じってこと。基本的にはみんな近くにある学校に通うことがほとんどです。

 

ありがちな学歴あるある何かを披露しようものなら割と本気で数秒の沈黙が訪れたりします笑

 

今回はなぜフィンランドでは偏差値という概念が根付いていないのかについてちょろちょろっと考えつつ日本における偏差値のあり方も考え直すいい機会にしてみたいと思います。

 

まずそのために、基本的なフィンランドの教育トラックについて紹介しておこうと思います。

 

初めに言っておきたいのは、フィンランドの学校は(ほとんど)すべて公立学校であるということ。公立私立の定義が曖昧なので保険をかけてほとんどと付け足しましたが、基本的にすべてと思っていただいて大丈夫だと思います(日本は中学は93%、高校は74.2%、大学は23.3%が公立ー非私立ーです)。そして義務教育から大学まですべての教育機関が無料です。

 

日本の子供達と同じように中学までは義務教育として教育をうけ、その後はほとんどの子供達が高校に進学します。高校は普通科(general education)と職業科(vocational school)にわかれています。

 

各トラックへの進学率ですが、現在は義務教育修了生で進学者のうち5割ほどが普通科に、4割ほどが職業科に進んでいるようです(日本は約7割が普通科に進学)。またフィンランドには中学四年生という学年が公式に整備されており数%はそこへ持ち上がります。

 

先ほど中学は基本的に地元の、、と書きましたが高校になると学校によっての特色もいろいろと強くなってきて、学生の選択の幅も広がってますし、高校側も選抜があります。この選抜は基本的に中学校三年間の内申点に基づいて行われますが、学校によっては独自の試験を課したり、特色入試のようなことを行うことも。

 

高校は大学のように自分で必要単位取るために時間割を設定して、単位を取り終えることで卒業となります。三年ないし四年で卒業するのがスタンダード。

 

高校卒業後の進路としては「就職」「大学(university)」「専門学校(polytechnique)」の三択になりますが、職業学校の学生が大学を受けたり、普通科の学生が専門学校を受けることも可能です。(ちなみに日本語で専門学校といってしまうと少しニュアンスが違うかもしれません。イメージはほとんど大学と同じものがあると思います。フィンランドでは職業訓練コースに進むことが積極的に推奨されており、そのためにも卒業後の選択肢の広さが十分確保されています。)

 

大学進学に関して驚きなのが、高校卒業後大学進学テスト(matriculation testといって、これをパスすると高校での学びを十分修得したとみなされ各大学の入学試験受験資格を得られます。立ち位置としてはセンター試験に近いですね)を通った人の7割(68%in2015)がout of education、つまり高校と大学の間で宙ぶらりんになっているらしいのです。ただしもっと言うと、2015年でmatriculation test合格者のうち75%が高等教育にアプライしたということなので、まあ100人いたら25人は進学希望なし、32人が進学ということなので超単純に計算すると、43人が浪人ということになります。

 

例えば僕のいる教育学部の小学校の教員養成過程は、何と合格率脅威の7%!受かるためにボランティアやインターンなどで先に経験を積んで再度再度チャレンジする人も多いのだとか(教員養成過程の選抜は最終試験に面接がありその人の将来の教員としての素質がダイレクトに評価されるため)。

 

さてさて、こんな感じでフィンランド人がどのようなトラックをたどって教育を受けているか、何となくイメージはついたでしょうか。

 

 

それでは、面倒なエッセイと違うので細かなあれこれはほっておいてザクザクいきましょう。

 

フィンランドでは偏差値という考え方が共有されていないという話なんですけれど、サクッとまとめてしまうと、学歴トラックが多様がゆえに比較する意味がないということ、そして社会システム的に race to the topの中で多少遅れを取ってしまっても差ほど差し支えないということ、があげられると思います。

 

今まで書いてきたことを見てもらうと分かると思うんですけど、それぞれの選択が極端にマジョリティにもマイノリティにもなりにくいようになってると感じませんか?義務教育を終え、普通科に行く人いかない人。高校卒業後高等教育に進む人進まない人。浪人したことがある人ない人。多少の差はあれどそこまで偏った違いは見受けられません。

 

また、無料教育という仕組みがあらゆる選択肢の選びやすさに大きく貢献しています。中学4年生をはじめとして、大学に入ってから専門を一度二度変更することも珍しくなく、学業を修め終了するまでに比較的リラックスして自分が何に興味が持てるのかを追及することができます。

 

このように思春期青年期の各段階で十分な選択肢と余白を用意しておくことによって、周囲の環境に無暗無批判に流されることなく、選択するうえで自分の興味関心意欲により声を傾けやすい環境が生まれているのかもしれません。

 

偏差値というのは基本的には一つの軸でしか能力を図れないので、選択肢の幅が広がれば広がるほど、そして各選択肢の価値が均等になればなるほどその存在意義は薄れていきます。

 

皆さんの中では偏差値という概念はどのような存在として受け取られていますか?偏差値という言葉に関するエトセトラを聞いたときに、理屈ではなくて心でものを考えたときにどのような感情が湧き上がってきますか?「偏差値36のあいつ」と「偏差値73のあいつ」にどのようなイメージ持ちますか?

 

ふと思いついて手元にあるデータだけでパーッとここまで書いてきたので、少し一面的な見方になってしまっているかもしれませんが、何かしらのアイディアの種の種にでもなってくれればうれしいです。

 

永くなってしまったので別記事で僕自身が留学して感じた偏差値と自分との関係性や思いについて書いてみたいと思います。

 

*追記。書きました↓

healsp.hatenablog.com

 

 

ではでは。moi moi!