助けてと言える場所
こんにちは!moi !
今日は生涯教育が専門の友達の誘いでヘルシンキのコミュニティセンターに行ってきました。
コミュニティセンターとはさっくりいうと、その地域に住む人達が集まって何かする場所。そのままですね。
例えばランゲージクラブが開かれていたり、ダンスレッスンがあったり、外部から講師を呼んで講演会やセミナーが開かれたりします。
ただ、周辺地域の人に場所を提供して、はい終わり、というわけではありません。
まず一つ重点の置かれていることとしては、地域で困っている人の受け皿となること。ソーシャルワーカーやボランティアの人が常駐していてその地域に住む人のニーズにこたえるような活動を積極的に展開していました。
例えば、パソコン/スマートフォン使い方講座。特にICTの充実が世界的にも進んでいるフィンランドでは銀行でも郵便でもなんでもネット化が進み、その使い方がわからなければ社会からの排除、逸脱につながりかねません。そういった人達が困ったときにフラッとよれるような場所がそこにはあります。
他にも、シングルマザーの会とか、うつ病に悩む人の会とか、とにかく地域のニーズにあるものはなんでも作るいった感じでした。
中でも印象に残ったのが移民関係の活動。他のEUの国々と同じようにフィンランドも移民難民の受け入れを続けていて、彼らをどう社会に包摂していくかは国全体の喫緊の課題となっています。
言葉が喋れなかったら?銀行口座はどうやってつくればいい?事情でパスポートを本国から持ってこれていなかったら?学校は?
そういった様々な問題を解決する場所として積極的にコミュニティセンターを活用しているようでした。
また、今回見学させてもらったコミュニティセンターの傘下組織として運営されているユースハウス(これもコミュニティセンターの一部ですが対象がユースに限定されています)では実際に移民のバックグラウンドを持つ子供たちが言葉の練習もかねて放課後に集まって料理をしたり演劇をしたりサッカーしたり、はたまたただゲームをしたり、、
様々な障害があって地域にすぐには溶け込めない子どもたちの居場所となっているようでした。
今回ユースセンターを案内してくれたソーシャルワーカーさんが、主な仕事内容を聞かれた時に
実は決まってやることは一つもない。子供たちに必要なものがあればそれを得るためにやれることを考える。その繰り返しだよ。
といっていたのがすごく強烈に耳に残っています。
特に僕は制度とか、社会とか理論とか、なにかと大きなレベルで物事を考えてしまいがちだけど、こういう地域の問題解決というのは目の前で起きていること、ただそれだけが信頼できる現実であって、問題が起きては解決して、起きては解決して、その繰り返して毎日が進んいく。
きっと社会でそれなりに幸せに、自分の人生に満足して生きていくというのはきっとその繰り返しを丁寧に続けていくことなんだろう。
結局一般化してなんとなくわかった気になってしまう悲しさを飲み込みつつ、そんな当たり前のことに気づかされた一言でした。
またその文脈で頭に浮かんだことは、「助けて」って言えることの大切さです。
今回のコミュニティセンターも、そもそも地域の人が困ってると声をあげてくれないとどうしようもありません。
実際にソーシャルワーカーの人も、いかに地域の人達に頼ってもらえるか、そしていかに彼らにセンターに「居て」貰えるかが課題だといっていました。
困っている人が困ってるといえる環境ってありそうで中々ないと思います。
ついつい他にも困っている人がいるからとか、助けを求めるのはかっこ悪いとか恥ずかしいとか、なんだかんだ言って自分の中で適当に押し殺してしまったり、また周囲の人に押し殺されてしまったり。
でも人が困っている時って、別に社会がどうとか、他人がどうとかじゃなくって、ただただ「困っている」。
それだけが彼らにとっての現実。
それを解決しようとするのに何のためらいが必要なんでしょうか。
口では何とも言えますね。
今回はたまたまいただいた機会で今まであまり触れてこなかった領域なので新しく考えることも多く、一方深く考えられないもどかしさもありました。
ちょっと調べてみただけでも、どうやらコミュニティセンターだけで、歴史も長く色んな知が蓄積してるみたいですね。
日本にもこういうコミュニティセンターのような場所はきっと沢山あって色んな人が色んな思いでそこにいるのだろうと思います。
帰国してやってみたいことがまた一つ増えました。
ではでは
moi moi!